関東学生棋界に君臨する強豪。関東個人戦優勝5回・3連覇はいずれも
関東記録。未だ全国タイトルに縁がないのが不思議である。
なお、3位、4位が多いのを見てわかるように、準決勝の勝率がやや悪い。
将棋の方は、何でも指すオールラウンドプレイヤー。踏み込みが非常に鋭い。
全日本学生将棋連盟委員長・東大主将。自分に対しても他人に対しても
厳しく、「関東三恐」の一人として恐れられている(残りの二人は早大の
豊島君と慶大の関向君)。
団体戦では9割近い勝率を誇るが、個人戦では準決勝に弱く(0−6)、
タイトル経験はない。東大には「主将は必ずタイトルを取る」という伝統が
あり、自分が初めてそれを崩してしまうのではないかとおそれている…
のかなあ。
将棋は、基本的には矢倉・居飛穴党だが、たまに(特に早大の古土井君相手に)
四間飛車も指す。「常軌を逸してすさまじい(日大機関誌・櫻棋より)」粘りが
特徴で、彼に泣かされた男は数知れない。
東大06三人のうちの一人(残りは東野、杉原)。広島人らしく、結構おおらか
に見える。
タイトルの多さが示すように、強い時はムチャクチャ強いが、それほどで
もない人に負けることも結構多い。また、公式戦では東大キラーでもある
(対東大12勝1敗)。なお、石井君(東海大)、林君(早大)と
の対戦が非常に多い(対石井戦は3−4、対林戦は5−3かな?)。関東個人戦では
ベスト8で林君に勝ち、決勝で石井君に負けるというパターンが多い。
(石井君に決勝で3連敗。)。もっとも、石井君には8年の十傑戦で
2連勝、続けて9年秋は関東個人戦準決勝で勝ってそのまま念願の初優勝、と
借りは完全に返したようである。
将棋は雁木と左美濃を得意とし、終盤で逆転することが多い。
東大06三人のうちの一人。童顔で、「すぎぼう」(週刊将棋にも載った)と
呼ばれた時代も。
個人戦では安定した成績を残すが、タイトルにはあまり縁がない。
各地区の同世代の強豪と仲が良く、早咲誠和アマ名人(大分)、冨樫
尚寛君(名古屋大)、山田洋次君(立命館大)、三和秀樹君(京大)たちと
「早咲一門」を形成しているようである。
将棋は正統派居飛車党だと思う。
東大将棋部前主将(平成6〜7年)、平成7年度全日本学生将棋連盟委員長。
1年生の時に関東新人王、全国オール学生選手権優勝と2冠を達成したが、その後は
個人戦では目立った活躍はなかった。そのかわり団体戦では安定した強さを見せた。
また、主将としても、堀井、立脇、久保本、杉原、東野の「五枚看板」を率い、
関東リーグ・王座戦では優勝を逃したのは平成7年春1回のみと言う東大将棋部の
黄金期をつくりあげた。
平成7年度終了後、一度は引退したが、今秋復活し、個人戦でベスト8に
入るなどまだまだ強いことを示した。
部内でも他大でも人望が厚く、また平成7年秋には10kgの減量に成功して
かっこよくなったと評判でもある。ただし学業の方はボロボロだが。
将棋は、新人戦の頃は四間飛車党、全国オール学生優勝の頃は右玉・相振りを
愛用していたが、その後はオールラウンドプレイヤーとなり、平成6年の
王座戦では「七色の戦法」と称して9局すべて違う戦形の将棋を指して
全勝した。
早大将棋部現主将。早大将棋部の体育会系体質は彼には合わないのでは
と言われていたが、その厳しさもだんだん緩和されて来たのだろうか?
確かに、昔はレギュラーでも遅刻するとリーグ戦に出られなかったそうだが、
最近はそうでもなさそうな気もするし…。
さて、彼はアマ大会では現在の学生棋界では最高の実績を持っており
(名古屋大の蛭川君は最近は学生大会に出てこないので除外)、
学生大会でも、全国大会ではその実力を遺憾なく発揮している。
しかし、関東の大会では、個人戦では優勝は
未だ1回、団体戦でもたまに伏兵に敗れることがあって全勝1回と、それほど
強烈な印象はない。彼ほどになると関東の大会は気合いが入らないのだろうか。
なお、史上初の学生三冠(学生名人、学生王将、全国オール学生優勝)まであとは
学生王将を残すのみであるが、三冠を達成したら学生将棋から引退するという
噂は本当だろうか。(ちなみに、学生名人、全国オール学生優勝、学生準王将
というのは、彼の他、菊田裕司さん(元京大、現リコー)も達成している)
早大将棋部のおそらくNo.2。入学当初はあまりふるわなかったが、最近は
大学将棋にも慣れてきたのかコンスタントに好成績を残している。
ちなみに、早大将棋部機関誌「稲棋」によると、「序盤イヌ、中盤サル、
終盤オオカミ」らしい。また、「関東三茶髪」の一人という説もある
(残りの二人は不明)。
早大将棋部前主将。早大06三人の一人(残りは安芸君、清水君)。
早大06三人は東大06三人とはやや力の差があると見られていたが(対戦成績も
東大12-2早大くらい)、彼は最近は東大06三人に追いついてきているように
思える。ただし、学生名人戦出場を賭けた一番を2回落としたり、東日本大会
個人戦決勝で敗れたりするなど、やや勝負弱いような気もするが。
なお、北大将棋部に兄がおり(9年春大学院に進学したらしい)、8年の
王座戦(早大、東大、立命館大が僅差で争った)では東大・立命館大に勝って
早大に負けるという成績で弟が主将を務める早大の優勝に大きく貢献した
(一部では弟より貢献しているとの声もあった)。
慶応のエース格。8年の全国オール学生決勝では早大の林君に敗れ
涙を飲んだ(?)が、9年の学生名人戦決勝で見事に雪辱した。
大会にヒゲをボウボウに伸ばして現れたり、髪の一部を青く染めて現れたり
と、なかなかワイルドな人でもある。
慶応将研(将棋研究会)前代表。河原君と並ぶ慶応のエース格。
外見が羽生四冠王に似ていると評判であり、一時は自分でも意識して羽生似の
メガネをかけていたようである。
彼は一見真面目な好青年であり、実際にそうなのであるが、早大の豊島君、
東大の東野と並んで「関東三恐」の一人とされている。普段は全然恐くないのだが、
聞くところによると、将棋や麻雀で負けた後など、切れた時は豊島君や
東野よりもはるかに恐いそうである。「慶応棋報」では「関東三恐筆頭」とも
書かれていた。
早大将棋部の7年の主将、全日本学生将棋連盟前委員長。「関東三恐」の
一人(ただし本人は「全然恐くないですよー」と主張していたが)。素人っぽい、
しかし力強い手つき(駒を親指と人さし指で挟んで持つ)から繰り出される、
一見無謀とも思われる(実際に無謀なことも多いらしい)力強い攻めは
「トヨ攻め」として恐れられ、必敗の将棋を逆転したことは数知れない。
なお、関東リーグ戦25連勝という記録も持つ。
9年春からはリコーに入社し、リコー将棋部の新鋭として活躍している
ようである。
明治の元エース。彼が明治に入学した頃、斉藤姓の人が既に二人いた(斉藤A、
斉藤Bと呼ばれていた)ため「斉藤C」と呼ばれ、それが関東中に定着して
斉藤Aさん、Bさん卒業後も「C君」「Cさん」と呼ばれることが多い。
関東リーグ戦17(?)連勝という記録も持つ(しかし正永(東大)に負けて
止まるかね)。
Contact: kaya@jsk.t.u-tokyo.ac.jp